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BIHOUENの歩み

BIHOUENの"これまで"

1970年 8月
1970年8月

美芳園興業の名称にて小野田力也が創業
主に、キャタピラー三菱 株式会社 東海支社の外注工場として、各種建設機械修理及び肉盛溶接、厚肉溶接を行う

1982年 5月
1982年5月

新工場へ移転
工場完成と共に溶接製缶を主体に転換

1985年 1月
1985年1月

有限会社 美芳園工業へ社名・組織共に変更
単品受注生産態勢にてノウハウを積み上げ、U字溝の蓋などの小さなものから、ロボットテーブルなどの大きな厚物まで製作

2000年

自動検査装置、自動搬送装置、自動鍍金装置、各種自動機、工作機械の設計製作・改修など実績を積み、現在に至る

2001年

井平秀文が副社長就任

2007年
2007年

小野田力也が社長退任、会長就任
取締役社長に井平秀文が就任

2012年12月

機械器具設置工事業取得

BIHOUEN ALBUM

BIHOUEN ALBUM
移転当初の「愛知池」前
BIHOUEN ALBUM
草津温泉バス旅行
BIHOUEN ALBUM
移転当初の材切場

BIHOUENの"これから"

語り、学ぶ。次世代への技術継承

次世代を担う若手職人の「想い」や「働く姿」をご紹介

一言で表すと、BIHOUENは"クセの強い"職人集団
一言で表すと、BIHOUENは"クセの強い"職人集団
三島 祐己
2008年10月 新卒入社

そもそも、なぜ、「美芳園工業」へ?

そもそも、なぜ、「美芳園工業」へ?

毎日同じことを繰り返すような「ライン仕事」が嫌いだったこともあり、各個人が製品を最後まで責任を持って作る、いわば「職人がたき」なスタイルだったからです。

入社後はどうでしたか?

入社後はどうでしたか?

高校卒業後に入社し、すぐに一人暮らしをはじめ、半月でリーマンショックが起こりました。その時は、仕事が無い状態が続いて辛かったですが、社内勉強会や社内講習に毎日取り組むことで、結果、技術力を上げられたと思います。
今だからこそ言えるのですが、入社3年目に大きなミスをしてしまいました。その時、会社の職人の先輩やお客様に助けられ、今でも継続してその製品を作らせてもらっています。

「職人がたき」な仕事について

「職人がたき」な仕事について

私の場合、お客様と直接お話しする機会が少ないのですが、お客様にお会いした際は、「美芳園さんの製品、きれいにできていますね」や「美芳園に任せときゃ大丈夫だわ!」と言われると、嬉しくてモチベーションが上がります!だから、一つ一つの製品に対し、責任を持って作り上げる「職人がたき」なスタイルは、入社前と変わらず好きです!

今後の目標は?

今後の目標は?

溶接評価試験JIS等の専門級を積極的に習得し、自分ももっとレベルアップしたいです!そして会社をもっと大きくしていきたいです!

BIHOUENの挑戦

挑戦 其の一開発支援

挑戦 其の一 開発支援

風力発電機など、開発支援の実績もあります!

三角柱で垂直型の変わった形をした「風力発電機」も作っています。会社のヤードにも設営されているので、興味のある方はぜひ見にいらっしゃってください!

挑戦 其の二技術伝承への挑戦

挑戦 其の二 技術伝承への挑戦

ベトナム人技術者の受け入れを、積極的に行っています!

3年間の期限はありますが、BIHOUENの持てる限りの製缶技術や加工技術を、伝えています。

「BIHOUEN」は、
これからもお客様とともに
仲間とともに、歩んでいきます