BIHOUENの歩み
BIHOUEN
"これまで"と"これから"
BIHOUENの"これまで"
美芳園興業の名称にて小野田力也が創業
主に、キャタピラー三菱 株式会社 東海支社の外注工場として、各種建設機械修理及び肉盛溶接、厚肉溶接を行う
新工場へ移転
工場完成と共に溶接製缶を主体に転換
有限会社 美芳園工業へ社名・組織共に変更
単品受注生産態勢にてノウハウを積み上げ、U字溝の蓋などの小さなものから、ロボットテーブルなどの大きな厚物まで製作
自動検査装置、自動搬送装置、自動鍍金装置、各種自動機、工作機械の設計製作・改修など実績を積み、現在に至る
井平秀文が副社長就任
小野田力也が社長退任、会長就任
取締役社長に井平秀文が就任
機械器具設置工事業取得
BIHOUEN ALBUM
BIHOUENの"これから"
次世代を担う若手職人の「想い」や「働く姿」をご紹介
そもそも、なぜ、「美芳園工業」へ?
毎日同じことを繰り返すような「ライン仕事」が嫌いだったこともあり、各個人が製品を最後まで責任を持って作る、いわば「職人がたき」なスタイルだったからです。
入社後はどうでしたか?
高校卒業後に入社し、すぐに一人暮らしをはじめ、半月でリーマンショックが起こりました。その時は、仕事が無い状態が続いて辛かったですが、社内勉強会や社内講習に毎日取り組むことで、結果、技術力を上げられたと思います。
今だからこそ言えるのですが、入社3年目に大きなミスをしてしまいました。その時、会社の職人の先輩やお客様に助けられ、今でも継続してその製品を作らせてもらっています。
「職人がたき」な仕事について
私の場合、お客様と直接お話しする機会が少ないのですが、お客様にお会いした際は、「美芳園さんの製品、きれいにできていますね」や「美芳園に任せときゃ大丈夫だわ!」と言われると、嬉しくてモチベーションが上がります!だから、一つ一つの製品に対し、責任を持って作り上げる「職人がたき」なスタイルは、入社前と変わらず好きです!
今後の目標は?
溶接評価試験JIS等の専門級を積極的に習得し、自分ももっとレベルアップしたいです!そして会社をもっと大きくしていきたいです!
BIHOUENの挑戦
挑戦 其の一開発支援
風力発電機など、開発支援の実績もあります!
三角柱で垂直型の変わった形をした「風力発電機」も作っています。会社のヤードにも設営されているので、興味のある方はぜひ見にいらっしゃってください!
挑戦 其の二技術伝承への挑戦
ベトナム人技術者の受け入れを、積極的に行っています!
3年間の期限はありますが、BIHOUENの持てる限りの製缶技術や加工技術を、伝えています。
「BIHOUEN」は、
これからもお客様とともに
仲間とともに、歩んでいきます
BIHOUEN史"はじまり"
小野田 力也
小野田力也が、キャタピラー三菱株式会社に養成工として入社し、小野田ミサエと出会いました。
その後、昭和45年に、主に建設機械修理で起業しました。しかし、キャタピラ部がゴム製に代わるなど、時代の変化を経ながら、厚物溶接製缶を担うようになりました。そこで、小野田ミサエは会計事務所で働きながら、休みの日は美芳園工業の経理を行い、他にも、小野田力也の実直な職人力をアピールし、営業も行いました。
小野田力也は、元旦以外は常に会社に身を置くほどの、根っからのワーカーホリックでした。
社名の由来
何屋さん?花屋さん?まさか鉄を扱うの?
「美芳園工業」という社名の由来はとても単純なもの。
創業者の生家は花屋でした。
立ち上げ当初その軒先を間借りし創業させて頂いたので、感謝をこめて、
花屋の名前「美芳園」を頂き、下に「興業」をつけました。
10年後に「興業」を「工業」に改め、「任せてちょ~だい!ビホウエン」の美芳園工業となりました!